続 戦車の話 T-34編

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さてさて、戦車の歴史を死ぬ程サックリとやってきました。戦車の事について詳しく書いたらこんなもんではありません。超絶重要な事だけしか書いてませんからね。詳しく知りたい方はネットで調べるか本を買って勉強しましょう!!今回の話の始まりはBT改良チームが逮捕された後です。
戦車開発の技術者A・フィロソフ技師を始めのとした技師達の多くが逮捕されてしまいました。これにより戦車開発は大きく遅れます。それに人手でも足りなくなりました。そしてフィロソフの計画を引き継いだ人物が現れます。それがT-34の産みの親ミハイル・コーシュキンと言う若い技師です。

かれは粛清されたA・フィロソフの弟子です。フィロソフの後をついでBTの改良に乗り出しますがある疑問を感じた訳です。「所詮BTをいくら改良しても限界があるんじゃないか?攻撃力、防御力、機動力がバランスよく整った戦車が必要だ!!」と思った彼は驚くべき事に新しいプロジェクトを考えようと言い出しました。これは今の我々からみれば別にタブーでもなんでもありませんが当時のソビエト内部では粛清されるレベルです。反革命的とのレッテルを貼られる訳です。当時の議会や幹部もこの計画をよしとしませんでした。理由は支持すれば粛清されるかもしれないからです。しかしある男はこの案を指示しました。それはなんとスターリン本人です!!
スターリンは「両方とも試作してみたら?」といいました。これを聞いた議会や幹部は「さすが同志スターリンだ!!ウラー」と手のひらを返します。こうしないと生き残れないのが当時のソビエトです。こうしてシュコーキンの新戦車開発A-32案が始まりました。そして同時にBTの改良計画である現行のA-20案も同時進行です。

そして一年後の1939年7月にクビンカでA-20とA-32の試作戦車が試験を受けます。どうみても圧倒的にシュコーキンのA32案が優勢です。しかもこの時に対フィンランド戦争である冬戦争が始まります。ソビエトのBT戦車をはじめとする各種戦車が簡単に撃破されてしまいます。こうしてBTの改良計画であるA-20は破棄されてシュコーキンのA-32案が量産されます。これがT-34です。

スターリンは現在では疑心暗鬼で無能(キエフ死守命令等)でボロカスに言われます。これは大粛清という世紀の大犯罪を犯したのだから当然です。しかし彼は戦車開発に対しては非常に優れています。多砲塔戦車(文字通り砲塔がたくさんある戦車、見た目は強そうだがクソ不便で使い物にならない)を「何故戦車をデパートにするんだ?」やA-20案を退けて傑作戦車T-34に繋がるA-32案を通したりします。そしてこの後にも重要な命令を出します。

A32は量産されました。しかし同志スターリンはこの後も注文をつけます。装甲を45㎜まで強化しろと言ったのです。もともとは32㎜でした。これにより大幅に防御力があがり初期の素晴らしい活躍が出来ました。

1940年初頭から量産体勢ができて、1940年末までにハリコフ機関車工場で115両のT-34初期型が生産されました。一年近くで115両って凄く少なくね?と思いますよね。これにはある元帥が関わっています。
グリゴリー・クリーク元帥です。彼を一言で表すならば「大粛清を生き残る人材」です。これは褒め言葉ではありません。大粛清で殺されたのは有能な指揮官達です。有能な人材は有能なのでスターリン独裁体制を潰す恐れがありますよね。それに有能な故に人望も厚くクーデターを起こすのも簡単です。赤いナポレオンと呼ばれたトハチェフスキーを筆頭に粛清されたのはそれだからです。だから赤軍の残念な活躍が冬戦争、独ソ戦初期に見られたのです(人材的な問題だけではない)ではこんな恐ろしい粛清の嵐から生き残る方法は何か?一番重要なのは党にではなくスターリンへの忠誠は勿論です。しかしそれだけでは足りません。実際スターリンの側近や政治将校、果ては粛清する側である内務人民委員部の長官達であるゲンリフ・ヤゴーダやニコライ・エジョフも最終的には粛清されています。

ならどんな人材が生き残るのか?ここまでくればもはや運の域です。こうしてあんまり有能っていう噂がなくて無能だけれどもスターリンへの忠誠だけで生き残ったのがグリゴリー・クリーク元帥です。彼は機械化に反対でした。非常に保守的だったのです。前にも書いた様に当時のソビエト軍部で保守的なのはおかしな事ではありません。しかし彼は逸脱していました。地雷を臆病者の兵器と呼んだり、サブマシンガンを警官の武器と呼びました。彼は自動火器がだいっきらいだったのです。彼の所属する砲兵科の機械化を死ぬ程さまたげたのです。そんな彼は革命的なT-34が死ぬ程嫌いでした。嘘の命令書を乱発したりしてT-34の生産を徹底的に阻害しました。このお陰で115両しか完成しなかったのです。そんな中でミハイル・シュコーキンが肺炎で死んでしまいます。T-34の最初の量産車が完成して11日後の事でした。彼の設計で量産された戦車は1台しかありません。それが傑作戦車T-34だったのです。

しかしこの115両のT-34にも欠点はありました。それにT-34は試練となる戦いに行かなくてはなりません。そしてT-34の対抗馬や赤軍保守派幹部の圧力、独ソ戦・・・T-34は今からが修羅場です・・・

あとがきみたいなもの
今回はこんなもんです。クリーク元帥の悪口は死ぬ程かけますよwこいつは悪い奴なんですよ。美しい兵器が大好きなんですね。軍人は元来保守的なのです。意味のわからない新技術より安全な古い技術を好きなようなもんです。でもクリーク元帥はだいぶ異常です。しかも指揮が有能な元帥ならまだ救い様がありますが全くの無能です。まぁ「赤軍の装備は馬と小銃」とか時代錯誤な事いっている彼にドイツ軍の新戦術である電撃戦や機動戦は理解できませんでした。スターリングラードを包囲される原因を作ったのも彼です。そんな無能な彼は戦後スターリンに粛清されて銃殺刑になっています。ちょっと可哀相な気もしますよね。元帥の器じゃなかったのに粛清で開いた穴埋めで元帥にされて最後は銃殺刑・・・ソビエトロシアは恐ろしい所って訳です。
他にも今回はA-20案を推す軍政側とA-32を推す軍部側の対立とかも書きたかったですね。ちょっと簡単に説明すると軍の事務屋はA-20を推したんですよ。理由は生産し易いから。事務屋としては性能を抑えてでも数を揃えたいのです。書類上はどちらも同じ戦車ですからね。しかし実際にそれで戦う軍部は堪ったもんじゃないのでA-32を推しました。この様な対立は日本でも起こっています。97式戦車採用の時ですね。日本では日中戦争が始まって高性能な案を、ソビエトではスターリンの鶴の一声で高性能なA-32案を採用って訳です。

では次回何時になるかわかりませんがT-34生産&改良とウラル疎開編とかやれればなと思います!!
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